本堂裏堂の釈迦三尊像

本堂のご本尊と背中合わせの場所に、大きな釈迦三尊の図像があるのをご存知でしょうか? 去年の秋から拝観コースに取り入れたので、間近で御参拝いただいたかたもおられるでしょう。
この図像の作者は、「大涅槃図」の作者である「厭求(えんぐ)」という方です。
厭求(1633~1715)は浄土宗の僧侶で、江戸の明暦の大火を目の当たりにして世の無常を感じて以降、一寺院に止住することはせず、近畿・東海・中国から奥羽まで、日本各地を行脚して民衆教化に努め、また先々の寺院の興隆に尽力されました。
真如堂の大涅槃図完成時は74歳だったようですが、おそらく名声高い厭求に、施主である三井家の女性たちが涅槃図の製作を依頼したのでしょう。釈迦三尊像はその前後に描かれたのかも知れません。
寺町今出川を下がったところに「清浄華院」という浄土宗の本山がありますが、同寺の海北友賢筆の大涅槃図(1713年作)は、縁の部分を除いて真如堂の大涅槃図とよく似ています。それもそのはず、真如堂の大涅槃図は、厭求が制作プロデューサーですが、実際の画工は海北友賢だからです。友賢は、桃山時代に活躍した海北友松の子 友雪の門人です。
ひょっとしたら、この釈迦三尊像も、プロデューサーは厭求、画工は海北友賢なのかも知れません。同図の右下に「厭求」と記してあるだけで、詳しい記録はありません。
いろいろ想像するだけでも面白いですね。
この図像の作者は、「大涅槃図」の作者である「厭求(えんぐ)」という方です。
厭求(1633~1715)は浄土宗の僧侶で、江戸の明暦の大火を目の当たりにして世の無常を感じて以降、一寺院に止住することはせず、近畿・東海・中国から奥羽まで、日本各地を行脚して民衆教化に努め、また先々の寺院の興隆に尽力されました。
真如堂の大涅槃図完成時は74歳だったようですが、おそらく名声高い厭求に、施主である三井家の女性たちが涅槃図の製作を依頼したのでしょう。釈迦三尊像はその前後に描かれたのかも知れません。
寺町今出川を下がったところに「清浄華院」という浄土宗の本山がありますが、同寺の海北友賢筆の大涅槃図(1713年作)は、縁の部分を除いて真如堂の大涅槃図とよく似ています。それもそのはず、真如堂の大涅槃図は、厭求が制作プロデューサーですが、実際の画工は海北友賢だからです。友賢は、桃山時代に活躍した海北友松の子 友雪の門人です。
ひょっとしたら、この釈迦三尊像も、プロデューサーは厭求、画工は海北友賢なのかも知れません。同図の右下に「厭求」と記してあるだけで、詳しい記録はありません。
いろいろ想像するだけでも面白いですね。

釈迦三尊像は、胡粉の剥離や汚れなどがひどかったので、2014年に解体して表具屋さんの工房に持ち込み、入念な修復作業を施していただきました。
地道な作業のお陰で、今は安心して拝めます。
地道な作業のお陰で、今は安心して拝めます。

2025/03/02 17:18
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