赤崎弁天

朝の最低気温が13.2℃、最高気温は23.0℃(13:35)と、過ごしやすい日で、境内をのんびりと歩いている人も多かったです。
本堂の北側に池があります。1934年に黒谷の本堂が燃えた後、真如堂も多額の費用を注ぎ込んで消防設備を整えましたが、この池はその時に防火用水用に作られました。池の向こうに見えているのは大文字山です。雨が降らないので、池の水が減っています。
島の中洲にある祠に祀られているのは「赤崎弁天」です。『真如堂縁起』には、「永正十六年(1519)、美作国大葉郡真島庄の住人で善阿弥という念仏行者が、真如堂の堂供養の費用を勧進するために、周防国の赤崎弁才天の宝前で断菜木食して一心に祈念した。すると、巨額の勧進が得られ、無事に供養の儀式を執行することができた。その報恩感謝のため、後に同弁才天を真如堂境内に勧請してまつった」と記されています。
以前は他の場所に祠があったようですが、池が出来てからは中洲に遷されました。
本堂の北側に池があります。1934年に黒谷の本堂が燃えた後、真如堂も多額の費用を注ぎ込んで消防設備を整えましたが、この池はその時に防火用水用に作られました。池の向こうに見えているのは大文字山です。雨が降らないので、池の水が減っています。
島の中洲にある祠に祀られているのは「赤崎弁天」です。『真如堂縁起』には、「永正十六年(1519)、美作国大葉郡真島庄の住人で善阿弥という念仏行者が、真如堂の堂供養の費用を勧進するために、周防国の赤崎弁才天の宝前で断菜木食して一心に祈念した。すると、巨額の勧進が得られ、無事に供養の儀式を執行することができた。その報恩感謝のため、後に同弁才天を真如堂境内に勧請してまつった」と記されています。
以前は他の場所に祠があったようですが、池が出来てからは中洲に遷されました。

この「赤崎弁天」はどこにあったのだろうとネットで探し回った結果、山口市秋穂東にある赤崎神社のことではないかと推測できました。また、山口市の市史編さん室の方も同意見でした。
でも、神社の由緒には古来より牛馬安全・海上安全守護の神さまとしかなく、弁天さまがお祀りされていたような記述は見当たりませんでした。500年前のことですから・・・。
お姿は拝めませんが八臂像で、八本の手には、弓・刀・斧・羂索・箭・三股戟・独鈷杵・輪を持っておられます。祠の向かいの拝所から拝んでください。
でも、神社の由緒には古来より牛馬安全・海上安全守護の神さまとしかなく、弁天さまがお祀りされていたような記述は見当たりませんでした。500年前のことですから・・・。
お姿は拝めませんが八臂像で、八本の手には、弓・刀・斧・羂索・箭・三股戟・独鈷杵・輪を持っておられます。祠の向かいの拝所から拝んでください。