田邉朔郎氏ゆかりの石灯籠
田邉朔郎氏ゆかりの石灯籠
 春の雨。草木が芽吹いてくる頃のうれしい雨です。

 今日3日は「元三大師堂」で護摩供が修せられました。毎月3日の10時から、護摩供のお勤めがあります。

 その元三大師堂の前に、白川石の石灯籠が立っています。ごく当たり前の光景ですが、実はこの石灯籠は、京都の近代化に欠かせない人物 田邊朔郎氏ゆかりのものです。そう、琵琶湖疎水を完成させた立役者の田邉氏です。

 灯籠は、疏水のおかげで村が豊かになったことへの感謝を表したいと、白川村の村長さんが寄贈したものです。ただ、田邉氏は謙虚な方で、邸宅内に石灯篭を立てるのを固辞されたため、「田邊朔郎君頌徳記念」として、明治40(1904)年に真如堂に立てられました。
 田邉邸は真如堂の門前にあり、今も孫の方が住んでおられて、朔郎氏の書斎「百石斎」が残っています。すぐ近い真如堂に奉納されたわけです。

2025/03/03 13:47 | 固定リンク | 未分類
本堂裏堂の釈迦三尊像
本堂裏堂の釈迦三尊像
 本堂のご本尊と背中合わせの場所に、大きな釈迦三尊の図像があるのをご存知でしょうか? 去年の秋から拝観コースに取り入れたので、間近で御参拝いただいたかたもおられるでしょう。

 この図像の作者は、「大涅槃図」の作者である「厭求(えんぐ)」という方です。

 厭求(1633~1715)は浄土宗の僧侶で、江戸の明暦の大火を目の当たりにして世の無常を感じて以降、一寺院に止住することはせず、近畿・東海・中国から奥羽まで、日本各地を行脚して民衆教化に努め、また先々の寺院の興隆に尽力されました。

 真如堂の大涅槃図完成時は74歳だったようですが、おそらく名声高い厭求に、施主である三井家の女性たちが涅槃図の製作を依頼したのでしょう。釈迦三尊像はその前後に描かれたのかも知れません。

 寺町今出川を下がったところに「清浄華院」という浄土宗の本山がありますが、同寺の海北友賢筆の大涅槃図(1713年作)は、縁の部分を除いて真如堂の大涅槃図とよく似ています。それもそのはず、真如堂の大涅槃図は、厭求が制作プロデューサーですが、実際の画工は海北友賢だからです。友賢は、桃山時代に活躍した海北友松の子 友雪の門人です。

 ひょっとしたら、この釈迦三尊像も、プロデューサーは厭求、画工は海北友賢なのかも知れません。同図の右下に「厭求」と記してあるだけで、詳しい記録はありません。

 いろいろ想像するだけでも面白いですね。

2025/03/02 17:18 | 固定リンク | 未分類